2011年7月12日火曜日

ジャマイカンレゲエは最近、内傷化、アンニュイ化してますが。

全然違う話から。安土桃山時代までの日本は今ほど森林や水田、肥沃な美しい国では無かった。徳川幕府250年の戦乱亡き安定の時期に、それぞれの土地の様々な人々が、数世代にわたり山に植林し、水の生まれる土壌を作り、水路を引き、手作りで作り上げた豊穣の国なんである。日本列島全体がある種巨大な里山と言える。その治水、植林の伝統は、明治、大正、昭和と引き継がれて来た。先代の人々が残してくれた、かけがえの無い「宝物」なんである。そんな「宝」をここ40年そこらのの電力事業が、根本からその「宝」を根絶やししている現実を、原発という部分のみに捕われず(原発はその中でも最悪だけど)認識したい。


 産業廃棄物を水源のある山奥に不法投棄することによって、川が汚染されることがどんなに恐ろしいか?原発による被害も同列で認識すべきだ。放射能の拡散は発電という事業による産業廃棄の拡散であり、より広範囲に長く、その汚染による被害が継続する。銅山や水俣どころの規模でない。戦後最悪の産業廃棄による公害であり、その規模は世界でも例を見ない、最大広域な汚染なんである。一瞬にして、海、山、川、土、人、植物、動物、全てが汚染されている。完全復旧にへたすると100年単位の規模だ。
 また、ダム建設による森林の破壊は治水を役割とする村を水没させた。300年以上の長きに渡り、日本列島の水の循環を治め、大地の豊穣を目的とした治水事業は電力事業にとって変わられ、林業(これが全ての治水事業の根幹にある)は衰退、里山は荒廃。たった40年で、地震のおきる前から、日本列島は瀕死の状態になっていた。このまま、他の経済も衰退し、日本人がせっかく作ってきた、豊穣の大地が失われれば、食物の自主生産能力を失い、IMFなどに借款しながら外国の食物に頼り切る、国をあげての「消費中毒国家」に成り下がる。IMF以降の話はなんか聞き覚えが無いか?そういう「消費中毒国家」は南米やカリブにもある。


「消費中毒国家」=「怠け者の国」唄でもうたって、自分をごまかしながら、生きていくのか?


おれはレゲエ好きですけど、そんなとこまでジャマイカになる必要は無い!
どんな仕事してても、音楽やってても、唄うたってもいいと思うんだけど、その根幹に『共同性』の回復、利益社会(ゲゼル)からの脱却。をしっかり認識して根の部分で意識的にやってかないと、ダメだと思う。この国はコンシャス不在だと思う。


伝統と文化!


自分の中の「意識の存在」に問え!


よし!








※参考文献 『日本再発見 水の旅』富山和子(文芸春秋)   

0 件のコメント: