2011年9月11日日曜日

THIS HEAT 〜自分にとっての音をめざして

秋なのに残暑で蒸しかえる9月頭、盆に帰れなかった故郷、木更津に1泊2日で帰省。親父が待ち構えていた。311以降では初めての再会だからか?一晩中いろんな話をした。ちなみにうちの親父、昭和6年生まれ、目黒区の出身で、大東亜戦争をモロに東京で向かえた世代だ。敗戦当時15歳、価値観の大転換を知る世代だ。木更津の山間、新興住宅開発が進んでるとは言え、まだまだ里山面積の大きい田舎、ここじゃ虫が完全に主役。四面楚歌ならぬ四面虫歌。父親と寝ないで語り明かした末の結論。この国は滅びと誕生を恐れ、なくしくずしに腐ったまま延命しょうとしている、となった。養分になることを拒み、まるで国全体が処分不能の産業廃棄物になろうといている、まずはそれをなんとかせんとな。ということだ。その延命は滅びよりも緩慢で怠惰、だんだん、いっそうそれぞれが利己化し、ただ、ひたすら人は心を腐らせていく、不毛の荒野を進んでいる現状である。

話の主は。この国が一流だったのは「経済」だけだったという話にも及んだ。一流の経済ついては、様々な国が尊敬と感謝の気持ちがあるかもしれない、しかし、経済のみの付き合いというのは、ただ、「金」の付き合いがあるというのと、同じだ。それが失われれば、この国には何も残らない。政治をはじめ、全てが三流以下だ。という話だ。
また、管前首相に対する評価がおれと偶然にも同じだった、「いろいろ手を回して、人を動かす事は不得意で、政治家には向いてないけど、理系出身特有の、本質に最初に辿り着く感覚や(事態の掌握はできなかったが、首尾一貫原発を危惧し、東電の隠蔽体質について、最初に国営化すべきと発言した。)不慣れゆえ、慣れない周りへの気遣いなんかしていたけど、ポイントは外さなかった。」というところでは、意見が一致した。具体的には2つの点で、厚生大臣の頃となんら変らない合理的な判断を下した。(1)何はともあれ、メルトダウンの事後報告(タイムラグのあまりに大きいこと)を受けて、即刻、全国の原発を止める判断を下た。(2)実現はこれからとしても、脱原発でエネルギーをどうにか考える国の方向性を諸外国に示した。これら首相でなければできない行為だ。

では、野田内閣はどうだろうか?表向き、管の明言を踏襲すると言っているが、自分には緩やかな軌道修正内閣に見える。頭から細野発言、さらに、通産大臣の辞任劇。自分にはどうにも、野田内閣は芝居が過ぎる気がしている。福島復興という命題の既成事実化(その責を棚上げに本質をあえて濁すやり方)さらにつつづけて、メディアぐるみの如何にも見え透いた、既成事実化の補強(下手なことを言えない空気の演出)として、鉢呂発言と辞任劇。これらは全て隠れた命題、自公との大連立の布石に思えてならない。皮を切らせて、骨を守るというか。野田内閣には前内閣の失敗の教訓を生かし、的確かつ巧妙な策士(シナリオライター)がいるように感じる。既成事実の積み重ねで、我々の意思であるかのごとく事を進めるためのシナリオであり、一見マヌケに見える言動にもすべて裏のとれた意味を感じる。戦国時代の策士さながらの民衆操作だ。野田内閣に唯一期待があるとすれば、民主党の最初からの命題、今回も小声で公言してた、増税前に政府運営の経費削減(主は国家公務員削減を視野に入れた法改正と、省庁の運営見直し)簡単に言えば、公務員切りの法改正と省庁の再編は抱き合わせで同時、それで官僚の頭切りを行うこと。これも、内閣ができた冒頭の腑に落ちない展開を見ると、どうにも怪しい。親父に借りて今読んでる本に、『なぜ日本は没落するか』森島通夫(岩波現代文庫)に、こうある。歴史はこのように進行する。将来像(シナリオ)は最初確率的なものとして与えられ、どのような像も、その将来時点に達するまでは危険を含んだものであるが、現実にその時点に達してしまうと、すべての危険は消え去り、現実は動かし難い確定したものとして、われわれに対して佇立している。」(森島通夫)炭取りがどこで回るのか、(シナリオと現実がクロスするX点)を、注視しないとならない。このままでは、元の木阿弥どころか、まるで最初から放射能があったかのごとく、それに対応する日々を迫られるという事態になりかねない。その中には、復興のために、原発再稼働という最悪のシナリオも含まれていないと、どうして言えようか?そのためには、反原発を福島復興の妨げになる刹那的な行為と断定し、一般世論を段階的脱原発という絵に描いた餅に収束させるシナリオが見えてくるのだ。高速道路の無料化と同じく、実現不能な立て看板にすり替える気ではないのか?

目線を少し大きく広げよう。放射能の残存は、この国の食料の自給を一層困難にすると思われる。もし、それにも大きな意図があるなら、の後、新手の奴隷船でもやって来るのだろうか?その船にIMFとかの旗が掲げてあったらぞっとする。先に書いたように、今後「経済」というカードを失った後、三流国となるこの国を、味方に(というか市場依存に)とどめておくためのおそろしいストーリーだとしたら?TPPもそれを睨んで打たれた施策なのか?とさえ勘ぐってしまう「市場」という名の奴隷国家でいろと。こう、書くとすぐ「それは某国の陰謀だ!」と話がひろがりがちだが、違う!あからさまな表が首謀とは限らないのだ。真実は一見敵対する国にもいる勢力との共謀して、この国の自給力を根絶やしといったところだろう。正直、相手は国家でなく、利権集合体だと思うのだ。国境は無い。そこには我が国から離脱しようとしている、我が国の企業体も含まれている。あるいは宗教団体も。でも、豊かなで便利な生活、「消費奴隷でいつづける」ことを望む人々も沢山いるのだろうから、いや、むしろ、それが主流だろうから、平和を乱す考えなのはおれの方なのかもしれない。でもそれは勘違いではないか?この国のゴールドカードの有効期限は間近なのに、みんなまだ使えると思い込んでいるのではないか?ゴールドカードが失われれば、こんな小さく、卑劣な国など、誰が顧みるものか!ただの荒んだゴミの島だ。そうして怠惰に命を貪りつづけ、国土が腐るままにお祭り騒ぎをつづけるのだろうか?これを書いているのは2011年9月11日、そう、あのアメリカ911テロから10年目だ。何故?世界貿易センタービルだったのか?その後それを教訓に利権集合体はより強固に巧みにスケープゴートを産み出し、先の震災においても想定外の天災(?)を誰独りとして謙虚に受け止められないような構造を作った。それぞれが、それぞれの思惑で利用こそすれ、次世代の体内を蝕む毒(地雷)だけが残される。これが、「俺たち」の意思なら、911,311にうわべの祈りなどできない、自分も含め、体半分は被害者ではなく、加害者だからなのだ。あの2つの悲劇は俺たちが招いている。これは、揺るがない。それでも「負け犬の遠吠えはやめろ。」と。「嫌なら這い上がれ」と。「こんな自由の世界を乱すな」と言われるのだろうか?おれ個人は土下座してでも乞いたい「~その螺旋を登るのは嫌です。~という選択肢をください。たいした力などありませんから、なんの影響力も無いですから。」と。







もし、問題の根にあるのが、原発を遥か通り越して、都市や生活のありかたに及ぶとなると、もう、トーマス・モアの「ユートピア」まで戻って、再考しないといけないのだろうか。世界の都市や生活は多少の違いはわれど、今や、基本構造は同じ(というか同じにすることで市場形成されてる)なのだ。それは、たとえば旧来のこの国(日本)の里山構造とは、最初から矛盾を内包している。日本は先んじていたが、その後、近現代都市化が進められ、世界の都市と生活形態がここまで統一されたのは、ここ30年の話だ。その構造は相互依存を前提としており、世界中の都市や生活は後戻りの困難なとこまで来てしまっている。日本において、震災及びそれ以降起きている問題は、等しく世界の都市構造や生活にも、そのまま起こりうる問題として、おれらの想像以上に動向が世界中の人々から注目されているんだと思う。ということは、都市構造と生活のどの部分を従来の流れのまま、世界構造との互換性のある部分(市場)として機能させ、どの部分を自立性を維持し自給力を高め、相乗崩壊を阻止できるよう変えていくか?主査選択になるのだろうか?そもそも制約された範囲での市場参加というのが可能なのか?かつては(というか30年くらい前までは)統一規格化されてないが故のなりゆきで、制約があった(それはそのまま、先進、途上、という都市のグレード格差みたいに言われたりもしていた)あるいは宗教、体制的な違いによる制約もあった。国境無き利権集合体みたいなものも、この構造が生み出してる側面もあるのか、あるいは意図的に構築されているのか?まあ、でも、いつの時代でも、その時代の構造の中で、そういう奴らは生まれている(というか辿り着いてしまっている)のかもしれないが、それではまるで永遠の階級闘争みたいな話か?疑問ばかりだ。なんでこんな話するかというと、「この螺旋は幻想です」というのは易いが、後頭部をプラグで繋がれたまま、夢見るように、野山を心のみで妄想するような、自己完結の仕方が腑に落ちないだけなのだ。未来は変えられる。すべては人が頭で考えだして作り上げたものにすぎない。それは、全くその通りなんだけど、自身の生活を濁り無く見つめることが、そのまま、世界全体を見つめることになっちゃう時代なのだ。10年前に2機のジェット機で、まさに、世界貿易センタービルに突っ込んだ奴や、こないだ銃殺された、オサマビンラディンと、「そこ」んとこ、話してみたかった。どう、考えているのか?あるいはいたのか?その、性急すぎる行動の裏にあるのは、単に宗教的心情なのか?どうなのか?そんな過激なテロ行為にいたる前に、1晩酒でも呑みながら、尋ねてみたかった。


いったい世界をどう考えていたのか?と。


最近はレゲエを聴きながら、おれの中にもJahがいればいいのに。と、真剣に思う。切実だ。でもおれの中にはいない。この国に生まれて、真剣にラスタファリアンに近づきたいと思うなら(ファッションや趣味、学問で無いのなら)、自分の中の「Jahの不在」からはじめないとならないんだなあ、と思う。おれの中にはいない。今後もいないと思う。なら、自身でおれに合った形で練り上げないとならない。あの小さな国、ジャマイカは信じられないほど荒んで、どんな国際社会からも相手にされないような貧相な国からは、人の心に力を与える無類の「音楽」が次々産み出されている。肉体(自給力)を奪われてなお、躍動する生命が迸る。この国(日本)の人々はレスポンスを返さず、ただ、それを消費している。それが歯がゆい。ただのSEXの前戯の秘薬みたいな、「欲望と自己正当化」の道具としてのみ、使っている。それは、そういう側面があってもいいのだが、あれは諸刃の剣であり、欠落している部分を完全に無視するのは、「音楽」として聴いてないのと同じだ。そう思うと、そこに向かって自ら音を放つ時、この国で、どんな理不尽な対応を受けても、受け入れられると思える。音楽だけでも、自給自足しなければ、と思うのだ。70年代、UK。スタジオで、上下左右を真撃なレゲエバンドにかこまれて、チャールズヘイワード率いるTHIS HEATが自分にとって真実の音を目指して音を奏でたように。

(以下ウィキペディアより抜粋)
※ディス・ヒート (This Heat) は男性3人によって構成されるイギリスポストパンクバンドである。1976年ロンドンブリクストンにて結成、1982年に解散した。

概要 [編集]

グループが結成された1976年から1stアルバムが発表された1979年にかけてのイギリスのミュージック・シーンは、アート・ロックグラム・ロック等から、パンク・ロックニュー・ウェイヴへの大きな転換期にあたる。そのような時代に、ディス・ヒートは、特定のジャンルに分類することが困難な独自の音楽を展開していた。その音楽は、しばしば孤高という言葉で形容される。
ディス・ヒートの音楽を特徴づけていたのは、チャールズ・ヘイワードの強靱なドラムスであったといえる。ディス・ヒートは1982年にギャレス・ウィリアムズの脱退に伴って崩壊し、メンバーは他のグループやソロで活動を続けた。チャールズ・ヘイワードは、キャンバーウェル・ナウを結成し数枚の作品をリリースした後、ソロ活動を行っている。ギャレス・ウィリアムズは、2002年に亡くなっている。

メンバー [編集]

  • チャールズ・ヘイワード - Charles Hayward (ドラムス等)
  • チャールズ・バレン - Charles Bullen (ギター等)
  • ギャレス・ウィリアムズ - Gareth Williams (ベース等)

作品 [編集]

  • This Heat (1978年 アルバム)
  • Health And Efficiency (1981年 12"シングル)
  • Deceit (1981年 アルバム)
  • This Heat with Mario Boyer Diekuuroh (1982年 Albert Marcoeurとの片面ずつのカセット)
  • Live In Krefeld (1986年 カセット)
  • The Peel Sessions (1988年 シングル)
  • Repeat (1993年 アルバム)
  • Made Available (1996年 アルバム)
  • Out of Cold Storage (2006年 6枚組ボックス・セット)

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