2011年10月13日木曜日

独りを好む癖



自分には妙に「独りを好む癖」というのがある。
それはある種の自己防衛かと思い、あまりに弊害が多いから一時期、正そうとしたのだが、
そういうものでは無い様だ。
ある人には「友達甲斐が無い奴だ」と言われ、ある人には「愛が無い」と言われた。
でも、そんなこと言う奴に限って、
長く疎遠になっても、また合うと、なんら変る事無く、接してくる。
まるで、年月の壁など無いかのごとく、打ち解けた感じで、
しかも、そういう関係を持てるのはお前だけだとまでぬかす。
勝手なものだ。

「独りを好む癖」いったいいかなるものか?
そのヒントは思い当たる。

中学生の頃、学習雑誌、チャレンジ(福武書店刊)を購読していた。
家で予習復習だの勉強だのを、ほとんどやらない(テスト前ですら)タイプのガキだったおれは、チャレンジにもほぼ全く手をつけたことなんかなかった。
それでも、毎月、楽しみにしていたのは、巻末の方(だと思う)に連載されていた4コマ漫画、永島慎二の「独りくん」が大好きだったからなのだ。
「独りくん」、学習促進雑誌、チャレンジには似つかわしく無い、学習に明け暮れ、より高学歴を目指すのが当たり前なご時世に、何かこう、別の世界の存在を示唆するような漫画だった。
あの漫画の影響は、ただでさえ、むやみやたらと学習することの嫌いだったおれにとって、音楽(当時はRCサクセションが大好きだった)と並んで、絶大な影響と救いをもたらした。
「おれみたいな考えで生きていてもいんじゃないか?」と思わせる強い「何か」があった。
主人公は全然可愛く無い孤独な中学生の独りくん。
一番最初の話(4コマ)口笛で犬を呼んで、寄って来たその犬を殴りつけて『人間に気を許すな!』なんて言って立ち去るという、おせじにもかわいい良い子とはほど遠い少年だ。
いきなり見知らぬ人を殴りつけて『イキがってるヤツより孤独がってるヤツがキライだ…………目をさましたら早いとこそんな気分はすてるんだ!!』なんて言ってみたりする、妙にマセてるんだか?なんだかな少年なのだ。
その後、高校生以降は何故か疎遠になっていた、永島慎二の漫画だが、30代も半ばを越えた頃から、古本店で著作を何気なく購入したところから、取り憑かれたように大ファンになってしまい、古書店で見かけるたびに購入するようになってしまった。
それというのも、あの独特なベンシャーンの影響を受けたと思われる絵柄、簡素ながらも練られたトーリーと細かなデティール。日本の漫画を、内容だけでなく、唯一「オシャレな絵だなあ」と思える作家であり、ただ、眺めているだけで、何度見ても飽きがこない。
今でも、大好きで何度でも読み返すのが、代表作、『漫画家残酷物語』でだったりする。
中でも、登場する恥ずかしいほど薄幸を絵に描いたようでいて、芯の強さを感じさせる、ヒロインに心奪われてしまうのだ。
永島慎二の描く女の子は、それが清純であれ、ものすごいビッチであれ、一環して独特な魅力を持っているのだ。
でも、それは、どんな女の子でも、本来なら持っている、リアリズムと純粋さをバランスよく共存させている、強力な日本の女性象そのものの様な気さえする。
彼女達はもう、絶対、男の気持ちなど理解できないし、願望と欲望に翻弄される男共と交わる事の無い世界観を、時には残酷に、時には自らの命を投げ打ってでも、見せつける。
純粋な裏切り、そして、その燐と立つ姿、その眼差し!
そういう女性を無意識にもおいかけていた、若き日の自分自身がいるものだから、共感たるや、いい歳して恥ずかしいほどだが、今も変らない。
そんな反面、漫画から、時代の臭いや「場」の存在感を感じる漫画も他に類を見ない。
それは、今現在でも、失われた様でいて、その実、全く失われずに、街角から漂う、人のいる気配いとでもいうようなものかもしれない。
そうか!街が「独りくん」を創るのだ。
本当に独りだったら、「独りを好む癖」無いのである。

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