2012年10月1日月曜日

A Country without a Country


A Country without a Country, Jah love in a Country. I&I Love is Judgment.

日本の政治そのものだ! pic.twitter.com/WG6Zd2tj

金利という毛皮を生産し放射線で死亡の際、預貯金を完全に医療に毟り取られ、死亡後圧力釜で電気分解される羊です。

羊最終処理施設。 pic.twitter.com/xHsLluRg

日本は金融を軸とする特定商工権力の奴隷と化している。
アメリカという国家ではなく、アメリカ自由市場を支配する金融支配構造のだ。この、植民化の認識からすべては始めなければならない。あとはいかに頭脳を巡らすかだ。正面から挑んでも、困難なのは中東の歴史を見れば一目瞭然だ。おいらたちは一番近しい、最大の植民地、アメリカ本土の民衆と共闘しなければ勝利できない。まず、植民を露呈させるために、正攻法で、植民地のルールに乗っ取って、日本国内の内政をどこまで変えることができるのか?を、地方支配から地道に改善させ、それが困難(植民地であれば実現はできまい)白日の元に晒し、それを世界に知らしめつつ、国内を開眼させていく(共通認識化)するしかない。国連敵国条項は今も存在し、米軍が駐留しているのだ。簡単にはいかない。かつてイラクは米国の支援の元、米国式の改革により、米国式の国家を樹立し、親米国家として近代化を進め、その段階で、米国による植民に気づき、米国により作られた国家を持って、米国に抗ったが、核の所持という『疑惑』だけで、一瞬にして壊滅させられ、再度構築を無理矢理強いられている。在日米軍は今、この瞬間にでも、銃口を我々に向ける準備は万端である。国内警察にデモが鎮圧できず、デモが暴徒化すれば、なんのためらいもなく、彼らは我々を銃殺する。だから、嘘でもなんでもいい、正攻法では勝てない。詐欺でもなんでもいい、あらゆる手段を駆使して切り崩さねばならない。まずは、『親米』を通すことだ。彼らは自国民であれ、疑わしきは躊躇い無く銃殺する。銃の国なのです。自分は自衛隊の廃止(災害救助隊への移行)アメリカの望む駐留削減の損得勘定を逆手にとって、中華人民共和国と安保条約を結び、米軍に半分撤収、半分は人民解放軍に駐留させるやり方が良いと思う。非武力による闘争の土台を作ることだ。武力ではいずれの国家にも抗う事は不可能だ。小国が勝つための最大の秘訣は、大国のパワーバランスを自らの物にするところから始めなければならない。歴史上勝利した小国は例外無く、そこから始めている。あわてず、ビジョンを磨き、明確な形がしっかり掴めたら、地道に、ゆっくり、ひとつひとつ変えていくしかない。明確なビジョンを共有さえできていれば、勝機はおのずと向こうから訪れる。日本国憲法を、日米安保条約を、非核三原則と非武装の条項を利用しよう。プライドや名誉ではなく、理想のビジョンの『実』をつかみ取るのだ。熱く感情に身をまかせるか、完全になんも考えずシカトするか、両方でのみバランス取るのが、自尊心保てて楽なのは良くわかるが、相手の策略にホイホイ乗っていては絶対解決しない。自衛隊を武装解除し、災害救助隊にすべきだ。その必要性は、今度、東北北関東大震災と同規模の災害がおきれば、おのずとその必要性は議論できる。(本当なら今、議論すべきだが)その主旨は、災害救助力の強化の必要性と、原子力事故への対応力の強化だ。まったくもって、当たり前の発想だ。自衛隊の救助力強化を考えるのは。日本は軍事訓練してる余裕は微塵も無いはずなのだ。
 日本だけでない。世界はアメリカ自由市場を支配する金融支配構造に支配されている。私たちは奴隷の分際で、そのアメリカの先鋒にヘラヘラ座り込み、平然と甘い汁を吸って来た自分を忘れてはならない。世界は日本をそういうふうに今まで見ていたと思う。

『猿の分際で、アメリカの肩に乗り、まるで、乗ってる猿であることを忘れ、まるでアメリカのごとく、偉そうに世界を闊歩していたんだ!』

世界はアメリカ。ならば世界のどこへ行ったって人々が欲しているのは、俺自身じゃない。おれの『金』だ。それが嫌なら価値を創造するしかない。『金』という価値ではなく、『人』という価値をだ。今のままではおれから『金』を取ったらただの使えない猿だ。堂々と『人』として世界を歩かないと。最もそんなことは『雲上の人』をやめ、地に降り。赤子の様に不安と希望を抱えながらまず笑顔で、時に泣きながら、あるいは1つ1つ言葉を覚えて、時には怒り合ったりしながら、人の中に入ってゆくしか無い。

なぜ「大和」は「ヤマト」と読むのか?⇒http://bit.ly/PK7aD8  この理由を知ると、漢字に込められた日本人の想い。

大和は部族契約であり国家とかいうような主権体制では無かった。これは基本江戸時代まで(幕藩体制は部族契約だもん幕府も一部族にすぎない)つづき、国主不在だったわけです。(天皇は神主の長として社稷を祀っていた)多義融和。です。部族契約であるから、契約は部族単位。ということは統一というのは明治以降の歴史解釈で厳密には契約を交わしてない少数部族も沢山いた。東夷(東北など東日本)は多かったろうし、南や西、街の中にも細かくたくさんいた。倭冦や商人、童姿の物、芸人、職人、柿色の人々、農業従事でない都市生活者はつまりは農士に関わる人々以外は厳密には稲作契約を中心に形成されている、家督制度的な部族契約とは直接は無縁だった。室町時代に明言された、士農工商は身分を意味するより、その明確な区分けを提示したものであり、工商に大和と契約関係に無い有力部族も多数存在していた。工商の大和と契約関係に無い部族は天皇の社稷とも契約関係に無いから、天皇制とは無縁の独自の宗教を持ち、これが、この国の多宗教性を産み出していた。日本は太古からこの大和の稲作を中心とする武家(古くは公家)農村家督秩序と都市周辺(主に交通の起点になる河口部に展開されていた)の大和外部族の暮らす都市生活者でできていたのだ。古くは武士と農民に境目は無く。豪の者、知の者は農民から武士へと身を上げ、あげくは国(部族主)主となる者もいた。大和と非契約の部族の中にも、有力化し、農を軸としない契約を大和と交わす部族も現れた。いずれにせよ、明治以降の歴史では曖昧なままの、工商狩猟漁業他の列島居住民の半数は大和に(つまりは日本にだ!)所属すらしていなかったのだ。もちろん多義融和の中で、共存していたのだけれど。楽市楽座を開いた織田信長は武家の中では始めて、この、無所属の多数の人々の重要性を意識していた人で、この国が士農(大和)以外の人々による流通やコミュニティで形成されている現実を認識し、その支配(所属は強制しなかった、それだけ強大な力を持っていた)も含めはじめて『国』という考え方をした。当時、士農(大和)以外の最大権力者は千利休だった。
明治期の日本の財閥は基本、農士出身者ではない。つまりは大和出身者では無いのです。勿論、融和(婚姻関係など)はあったにせよだ。日本の天皇制や中世の封建制度から完全に自由な存在の工商権力。なんか聴いたことある話ですよね?どっかにもローマ・カトリックに所属せず、王侯封建制度の中で自由に活動していた工商権力っていませんでした?江戸時代に幕府に依頼を受けて出島でプロテスタントの国家、オランダ(イギリスもか?)と交易をしていたのは、日本の財閥の前身にあたる日本の商工権力者達でした。幕末期、長い武家による大和の政の代行は存続の危機に陥っていた。本来同じ根を持つ公家(皇室)と武家(武家、農家)は初心に戻り再度合体する必要があった。しかし明治維新(明治維新は大和外部族の藩と商工による反乱だ)によりそれは阻止された。皇室は商工と合体したのである。大和は滅亡した。日本は明治以降、稲作と豊穣ではなく、金と商業を奉る国家として誕生したんです。明治以降の軍隊は武でも士でもない、商業利益を守るただの西洋式軍隊だ。武士は大和の契約に基づき、豊穣と民を守っていた。明治維新の時に滅亡してしまった。大和の滅亡は教科書ではふれられていない。皇室が傀儡的に継続しているからだ。

 悠久の想いというか。失ってしまった物を無理に元に戻そうとは、自分は、思っていません。何故ならそれは歪な行為であり、けっして元に戻る様な類いの物では無いのです。かつて孔子がどんなに失われた周の治世を渇望しても、失われた周が戻る事は2度と無いのです。滅亡した大和を戻す事も同じです。教科書には書かれていませんが、もう150年も前に大和は失われました。そしてその残り香も150年の歳月をかけて、失われていっています。史跡や生活文化の中には、今なお残る『大和』はあります。それは、大切にできるものです。私たちは2000年以上に渡る、豊穣と多様融和の大和を失った事実を認識すべきなのです。そこから、その損失を越えて、教訓を生かして、『大和を滅亡させた物はなんなのか?国無き国を生きてきて、わたしたちは、このままで良いのか?』を多様にそれぞれがそれぞれに考え、答えを出して、新たな融和の形を見いだしていくしかありません。多義融和、という暮らす人々の半数は所属も強制されない、他部族の集合体であった『大和』を滅ぼしたのは、主権的な西洋式の国家主義です。その概念を支える民族という歪な思想。資本という商工を軸に考えられた富裕主義。それらは150年の歳月をかけ、どんどん肥大化し、多様性を奪い、画一化している。それでも、今あるものを土台にして、新たな道を模索しなければならない。この二局構造の概念を変えてしまうしかありません。コミュニズムもその歪な思想の一端でしか無いのですが、解釈を変え、全く新しい生き方の指標にする事は可能な気がします。ナショナリズムを多様に内包させる事によってです。わたしはこれ以上、消費を強制されるような、多様性の奪われた建築構造の都市に暮らしていきたくありません!消費のために予め設計された利益収穫の人間農場の様な都市構造。これを改善し、多様性を居場所を取り戻さなければならない。このことは、商工業を否定しているのでは無いのです。かつての楽市楽座、あるいは大和に栄えた、常に活性化し、多様で、柔軟で、選択の自由があり、同時に選択しない自由もあった、日本の豊かな都市を取り戻したいのです。商工業は国家などと支配構造の中心に据えてはならないし、商工業は上下の支配構造があってはならないのです。平たく柔軟で多様、常に活性化していなければなたない。アメリカ資本主義の言う、自由市場は詭弁であり、その実態は特定商工業者による市場の完全支配なのです。

大和は周王朝の末裔が、日本列島に渡り、始められた国の形なのです。
多義融和の周の考え方は、大和においてありとあらゆる渡来のアジア部族の文化や考え方と融和され。酵母の様に熟成され、東洋において無二の素晴しい、文化を形成したのです。わたしたちはこの150年で、西洋文化という巨大な文明をも丸ごと融和させるべく挑んできました。大和は滅びても、その培われた文化をもって。この行為は無駄ではない。先に進むしかない。西洋文明は私たちにはもう古いのです。



あえて概念を変えて模索したい。
『新自由主義に対抗すべく新共産主義を提唱したい。』

 新自由主義に対抗すべく新共産主義を提唱したい。これは従来の国家主義や優性思想を共産主義がら排除し、多様性を内包した考えで、9条に止まらず全『日本国憲法の堅持』非核三原則の強化から、全ての原子力事業の廃止。自衛隊の『災害救助隊への移行と完全非武装化』『官僚制度の解体再構築』さらに国連への東アジア紛争監視として新秩序としての『安保体制の維持』(中国、米国との信頼関係の回復)つまり非武装化に伴い、国連を仲介の元、新安全保障条約を各国と締結し。自然災害発生時には災害救助を確約するものである。新共産主義は多様性の内包の見地から、一党独裁の指導体制はとらず、多様性を維持したまま、国民主権を強化するものである。『選択の自由』は憲法強化の元、経済利益より公共の福祉を優先する範囲内における自由な経済活動を認めるものである。優性思想に元ずく国家公務員登用は改善し国立大学を解体する。多様なコミュニティによる共存、相互扶助の実現をめざす、保守内包の共産主義である。プロレタリアート独裁はそれを望む者とそのコミュティが自由にやればいいのであり、国の態としては、それを『選択の自由の範囲に内包』し、多様なコミュニティによる、新部族社会を基本とする。個人の集合体が地方自治体であり、地方自治体の集合体が国家である。よって、事実上国家公務員制度は廃止。地方公務員の選抜派遣による、組織としての中央省庁ならびに、職員であるべきだ。各地方にしか無い完結型の政党があってもいいではないか!その地方自治体の人々が望むなら(選挙で選ぶなら)その政党が地方から国会に上がってくるのだ。つまり国議会は地方議会からの選抜者によって運営されるべきだ。これらを制度化、明言化する箇所においてのみ、日本国憲法は改正すべきである。我々は主権を回復しつつ尚、仕切り直しで『親米、親中』であるべきなんです。けして反である必要は無い。軍隊を軸としない同盟関係はむしろ強化すべきです。安保は同様の主旨を中国と締結したっていい。国連の統括の元、米軍と人民解放軍が日本に駐留する事を、おれは受け入れるべきだと思う。そのかわり、自衛隊は解散すべきだ。(というかその機動力をそのままに災害救助隊に移行すべき)ただし、現在の米軍駐留部隊を半減し、そこに人民解放軍が駐留すればいい。同じ基地で。 
 日本という中間同盟者の存在で、事実上米中は戦闘不能だぜ?ロシアや韓国、北朝鮮は間違っても日本に喧嘩は売れないぜ?米軍と人民解放軍相手に戦争するんだから。事実上は傭兵みたいなもんだ。抑止とは他力でやるべきなんです。反日感情も収まると思うなあ。尖閣諸島は人民解放軍に守ってもらおう。つうか、主権不在あるいは共同主権地にする条約を結ぶべきだ。共同海域(双方に海域がクロスする場所)にしたっていい。並べて旗を2つ立てろ! 
尖閣諸島における日中の共同主権を人民解放軍が守るというね。
つうか今から軍隊こさえたって、米軍や人民解放軍に勝てるわけないじゃないか!馬鹿でも赤ん坊でもわかるわい!あと、そんな事に労力を裂いていたら、米軍や人民解放軍よりよほど恐ろしい敵、太平洋プレートに対抗する救助力が害われるだけじゃねえか!大地震は絶対また起きる!そいつが最大の敵だろ?東北関東大震災を忘れたのか?最大の敵です。
 国家主義を超越した民衆の多様性を軸とする新共産主義で、憲法の堅持、完全非武装化を実現し、核エネルギーと軍隊を永久放棄するしかない。親米、親中を回復して。人間や国を恐怖や抑圧、抑止で支配するやり方は古い。おれははナチス並みの激烈さで、ナチスとは真逆の非暴力を貫くべき。徹底的非暴力。絶対に勝利できる、おいらが保証する。多様性は全てを受け入れる。世界が抑圧に満たされるなら、非暴力は唯一の脱出抗だからだ。自衛隊を廃止、完全非武装の災害救助隊設立せよ!日本のみならず、世界のどの地域で災害が起きても、世界最大規模の救助力を誇る強力な救助力を!世界の国々は軍隊の殺傷力を競っている。現在世界には5〜6回人類を殺傷しても余るほどの殺傷力がある、無意味だ。需要と現実性を考えるなら、世界にまだ、無二の誰も追求していない『救助力の追求』をすべきであり、世界最高の救助力を保持する国を誰が襲うのだ?そんな国家は絶対に無い。どんな大地震にも水害にも、原子力事故にも対応できる『究極の救助力』。これ。今、世界で最も強力なウェポンだよ?人類の持つどんな軍隊よりも、強力な自然災害に打ち勝つ軍隊だよ?まっ黄っきの、真っ赤かの、迷彩とは真逆の誰でもすぐに目につく、輸送機。隊服、どこに訪れても、どこの国の民衆も歓喜の声で招き入れる、世界最高の非暴力部隊です。

いいなあ、米軍と人民解放軍、世界最強の軍隊が共同で日本を飛び交い、その下をまっ黄色の災害救助隊が悠々と編隊を組んで飛んでいるっていうね。



※この文章はtwitterの書き込みを元にしているため、表記や表現の統一はなされていません。

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