2012年1月30日月曜日

JET SET Record On Lineでも発売中!

PLAKATY POLSKA
のっぺらぼう

猛★爆★最★高!!2012年のJagataraかMute Beatかラリーズか!?ぐらいの衝撃を与えるオルタナティヴ・レゲエ・バンド!!
安尾玄、伊勢啓太、峯元毅、田端剛からなる4人組、ペラカティ・ポラスカ!!アナログ盤オンリーとなるデビュー・アルバムが遂に当店にも入荷。60'sアングラ・フォークがへヴィー・ルーツ・レゲエ化したような恐ろしくフレッシュ全6曲!!



PLAKATY POLSKA/NOTSUPERABOU LP Record 
Now On Sale!! JETSET RECORD JAPAN(Soft Rockers Hi-Fi Records)
http://www.jetsetrecords.net/products/japanese_pop/jazz_crossover_ska

2012年1月24日火曜日

「世界中の核施設は我が国の地雷である。」という パワーバランスを一変させ、世界中から核保有が縮小されるような国防戦略。


最近の『脱原発』の人の中には、口では反原発、反「核の墓場」を声だかに言いながら、その実、なしくずし的に中華人民共和国に依存し、最後は、原発推進になるような道筋が見え見えの人たちがいます。そういう欺瞞的な脱原発論者よりは、その組織の中に反原発と原発推進を半分半分で抱えながら、脱原発を模索しはじめた中道的な人たちの方が、まだ、信用できる。何故なら、アメリカも中国もその裏側にいる鵜飼いは同じで、重要なのは国に対する敵対ではなく、鵜飼いに対する牽制であるからだ。だから自分の考え方は基本が中道保守にありながら、脱原発を望む者です。明治憲法の残存力が強すぎる日本国憲法を改正し、官僚省庁の抜本的な再編無くして、公務員改革や、機関産業(電気会社など)の再編は不可能です。また、憲法9条の裏返しが、現在の『原子力エネルギーの平和利用解釈による裏国防の論拠』となっている以上、新憲法で非核原則を拡大し、『核の平和利用も認めない内容』に改正し、そのかわり、国防は核を軸としない軍隊の保持を認め、また、象徴天皇制は廃止し、国民主権を明確化すべきです。

自分は理想としては、非武装、非殺戮を思い描く者です。でも、残念ながら、国防の不備というのはあまりに現実的でないというのは理解できてしまします。そこで考えたのが、原発事故の事実をふまえた、全く新しい『受動的攻撃力や防衛力』というのは可能か?という事です。可能なような気がします。実は非核武装を基本とすることは未来の国防のあり方を模索するもので、自国の原発を全て廃炉し、核燃料の地下での徹底管理防衛を基本とし、攻撃力の基本は非先制性と、『受動的防衛力』の強化として、核不搭載のミサイルによる、核先制攻撃国の核施設攻撃の徹底を想定すれば良いのです。構想が高度になればなるほど、核先制攻撃国は自国の核施設を縮小せざるを得ないから、我が国の『受動的防衛力』としての効果は絶大であると言えます。この例からも、『受動的攻撃力や防衛力』というのは、想定も存在も可能である。と言えます。盾槍の考え方としては、相手が先制性の強い、よく刺さる槍なら、こちらは的確に相手の急所だけをつく、長くて早い槍と、より強固な盾を持てばいいだけなのです。このことは、今回の原発事故により、国防の考え方が一変した結果と言え、自国に多くの致命的な地雷を持つような、核武装や原発保持の考え方を逆手にとる、未来の国防のあり方を示唆する考え方です。核武装に回す費用やリスクを、より数が多くて速度のある、瞬発的で規模の細かい破壊力の武装に費やすことの方が効率的であると言えるし、先制性の低い、非核武装の国とは友好関係を築きやすい。我が国は核保有国に対して、世界一、反撃力のある国をめざすべきです。

「世界中の核施設は我が国の地雷である。」という新国防戦略です。
核施設の放棄国と積極的に友好関係を構築すべきです。何故なら、この戦略上、核武装の無い国に対して、我が国は攻撃力が無いに等しい戦略であるからです。(針のように細かく、局部的で速度はあっても、相手側に核があるのが前提の攻撃力であるからです)

もし、これが実現すれば、いままでの核保有を基本とする、各国の防衛概念は180度一変しますよね?今はまだサイエンスフィクションですけど。

2012年1月10日火曜日

こちらでも予約受付開始


ペラカティポラスカ「のっぺらぼう」
こちらでも予約受付開始
http://reggae-store.com/catalog/99/996-47.php

2012年1月5日木曜日

2011年11月30日水曜日

血の中のアジア


先に書いた、「金」奉る国の続きみたいな感じですが、コラムを書きました。

前回のコラムでも書いたけど、かつての、朝鮮や中国への侵略は、本来は『大和(天皇制秩序)』の考え方ではない気がする。何故なら、大和の起源が、朝鮮や中国にあることと、元となる大和族の気質が『西に背を向け東(太陽)へ向かう稲作定住型の部族』であるからだ。過去に、朝鮮や中国(つまりは大和や弥生文化をもたらした邪馬台国などがその中国や朝鮮から来た大和)に侵略された民俗(本来、九州中心にいた海洋民俗)による傀儡大和(天皇制を利用した例えれば、満州国のような)明治政府の考え方なのだと思う。九州中心にいた民族は、倭冦と呼ばれ、厳密には、その拠点を九州のみならず、朝鮮半島、遠くはマニラ、に至まで、勢力をひろげ、歴代の中国、朝鮮王朝と激しく対立していた、『海の民』であり、現在、その民族の一部は日本に帰属したいるが、台湾、朝鮮、中国南部、他、様々な国にも分かれて帰属して、今は完全に融和している。

日本とアジアは、きちんと『アジア史』で解釈しないと、正しい認識には至れないほど、中国や、朝鮮と密接な関係に有るのだ。
秀吉の朝鮮出兵は『王を超える立場』を求めてのものであった。例えれば、課(日本国を束ねる大和)課長(の天皇の立場)から部長(朝鮮半島、日本列島を束ねる皇帝として、明の皇帝と対等な立場)を求めたのである。それも課長(の天皇の立場)の考え方では無かった。
元々、中国を頂点とする、アジアの秩序とは、『下克上を基本とする、中華思想』を元にしており、中国も、少数民族や他民族による王朝や支配も、あるわけであり、それが義にかなえば、『天の意』として、受け入れる思想があるのだ。倭冦の起源にあたる人々の中には、そういった世界を生きて来た、中華の郡族(中にはかつて王朝を築き上げた部族の末裔もいた)を元にしていたのである。同じ、中国、朝鮮を起源にしていても、大和と倭冦は全く違う部族であり、大和は『西に背を向け東(太陽)へ向かう稲作定住型の部族』であり、倭冦は、『西へ南へその勢力を広げる狩猟型(バイキングである、海賊、ヨーロッパに近い感覚)思考の海の部族』だったのである。今は、そんな様々な民俗が、解け合い、この国のややすると、一筋縄ではいかない『特性(民族性ではない)』を産み出している。侵略された者の血も、大陸を追われた者の血も、意識的に東へユートピアを求め旅立った者の血も、南から、クジラを追い辿り着いた者の血も、深く混ざり合っているのだ。大和という古い部族を起源とする、秩序は、まだ、今の様に混ざり合う以前に『意識的に東へユートピアを求め旅立った部族』により創られた『秩序』なのだ。


実は、漢人や、朝鮮人も混成民族であり、日本人同様に、流入してくる様々な部族と解け合い、成立っている。『地の営み』をそのまま『血』が背負うだけで、生物学的には、漢人、朝鮮人、日本人、は全く同じ、混成モンゴロイドである。一見、矛盾して見える対応と感情なのだが、例えば、中国や朝鮮の人達は、侵略的な日本の資質に多大な嫌悪と警戒を持っているけど、『日本の天皇』には、そういう感情を抱いていないよ、聞いてみれば解る。「え?なんでだ?」と、思うかもしれないが。彼らは明治政府が『傀儡』であったことをよく認識しているはずだ。彼らが嫌悪し、警戒するのは我々の血の中にある、『倭冦』の部分なのだ、それとは、もっと古く、長い、対立の歴史があって、それに根ざした『警戒と嫌悪』なのだ。彼らが学ぶアジア史や母国史にも、我々が学んだのとは違う意味で、同様に偏りが完全に無いとは言わないが、彼らの学んだアジア史や母国史を知れば、先に書いた対応には、何の矛盾も無いことが解る。
今や、完全に解け合って、自分の血の中には、両方、ないしは、もっと多くの血が混ざり合っている。それは、なんかメーターの針みたいに、ある時は『倭冦』の資質(とても、合理的で、ヨーロッパの考え方に近い)方に振れたり、あるときは、ものすごい古い記憶のように、『大和』の記憶の方に振れたりもする。どちらにも、良い部分と、悪い部分があるけど、バランスが取れるなら、この血の中の『選択肢』をとても、誇りに思うし、可能性にも満ちていると思う。それは、日本人だけでなく、同様に漢人や朝鮮人にも、入ってるんですよ。『倭冦』が解け合ったのは、あるいは、その起源は日本だけでは無いのだから。大和の民(部族)も、大陸から渡って来たのだから。